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天皇寺 高照院(てんのうじ こうしょういん )は、香川県坂出市西庄町にある寺院。宗派は真言宗御室派で、本尊は十一面観世音菩薩。山号は金華山。天皇寺だけでなく、院号の高照院で呼ばれることもある。四国八十八箇所霊場の第七十九番札所。本尊は十一面観音。 境内は崇徳上皇を祀る白峰宮に隣接し、元は白峰宮の神宮寺であった。 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:十楽の 浮世の中を たづぬべし 天皇さへも さすらひぞある == 歴史 == 伝承によれば、古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王〔景行天皇の子とも日本武尊の子であるとも言われる。また、この伝承は日本武尊の弟という説や、日本武尊自身が退治に向かったという話もある〕ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れたとき、横潮明神が泉の水を持ってあらわれ、その水を兵士に飲ませた。すると、全員が命を吹き返して助かったという。それからこの泉は「八十場(やそば)の霊水」と呼ばれるようになったという。(弥蘇波〔1689年刊行の寂本の四国遍礼霊場記では「故に弥蘇波と書なり」とある〕から転じたとの説もある) その後空海(弘法大師)が八十場の泉を訪れたとき、十一面観音、阿弥陀如来、愛染明王の三尊像をつくって堂を建て安置し、また、薬師如来を刻んで安置し金山ノ薬師として札所〔1653年の遍路記である澄禅の「四国遍路日記」に「大師御定ノ札所ハ彼金山ノ薬師也」とある〕となり、そして七堂伽藍が整い、明治初年に廃寺になるまで摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と称した。 寺号の「天皇」は崇徳上皇に因むものである。保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国阿野郡西庄村に配流となり、長寛2年(1164年)の旧暦8月26日に死去した。上皇の亡骸の処遇について京から返事の使者を待つあいだ、金棺を冷たい八十場霊泉に浸し、清水をかけ続けたところ、21日間すぎたのちも上皇の顔はまるで生きているごとくだったという。やがて返事が届いて上皇は荼毘に付された。その跡である此所に崇徳天皇を勧請し御廟が建てられ隆盛し七堂伽藍と多くの塔頭が立ち、いつの頃か札所は金山薬師から崇徳天皇社とその別当妙成就寺となった。ゆえに人はみな妙成就寺は「天皇寺」と呼び、崇徳天皇社は「天皇さん」と親しまれるようになった。また、このあたりを「天皇」という地名で呼ぶようになったが、恐れ多いので「八十場の霊水」から名をとり、現在は「八十場」と呼んでいる。 明治初年の神仏分離令によって崇徳天皇社は白峰宮と改称し、妙成就寺は廃寺となった。そして、七十九番札所は、近くにあった末寺の高照院が移転して引き継いだ。〔柴谷宗叔・著「江戸初期の四国遍路澄禅四国辺路日記の道再現」302p補註3より〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天皇寺 (坂出市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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